労働政策についての四つの質問事項と
JAMの見解


1.最低賃金について
 意見書は項目を挙げて最低賃金を論じてはいないが、前文の中で、不用意に最低賃金を引上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらすと述べている。しかし、このような主張には何の根拠もない。1998年にブレア政権の下で最低賃金制度を復活させたイギリスでは、その後も段階的に最低賃金を引上げているものの、雇用への影響は実証されていない。現在のアメリカにおける最低賃金の段階的引き上げについても、最低賃金の緩やかな引き上げは技能の低い労働者の失業を増やすことにはならず、何百万人もの人々が貧困から抜け出せるというのが大方のエコノミストの見解である。意見書で事例を示せないのであれば、少なくとも最低賃金の絶対額水準がどの程度に上がれば失業が増えると言うのか、根拠のある数値を示さなければ説得力はない。

 また意見書の言う最低賃金は地域別最低賃金を念頭に置いていると思われるが、労働政策審議会労働条件分科会最低賃金部会では、地域別最低賃金はすべての労働者の賃金の最低限を保障する安全網として位置づけられてきた。それゆえに社会保障政策との整合性を考慮した政策が必要とされ、地域における労働者の生計費については、生活保護との整合性も考慮する必要があるとされたところである。現在こうした労働政策審議会の答申に基づく最低賃金法改正案が国会で審議されているが、意見書では、こうした地域別最低賃金の有する社会的安全網としての役割は一顧だにされておらず、社会保障政策への視点を欠いた暴論と言う他なく容認できない。

2.解雇権濫用法理の見直しについて
 意見書は司法判断の集積たる判例が立法に当たって尊重されなければならないとする考え方は、日本国憲法の想定する三権分立の趣旨に反するとの立場に立っている。この立場から解雇権濫用法理については、当事者の自由な意思を尊重した合意に基づき予測可能性が明らかになるように、法律によってこれを改めるべきとしている。具体的には労使の負担基準に関する客観的細目を雇用契約の内容とすることを奨励するなどして、当事者の合致した意見を最大限尊重し、解雇権濫用法理を緩和する方向で検討を進めるべきと述べている。

 上記のような立場から、判例への依存を断ち切るべきとの主張には、判例の蓄積が形作る法規範固有の役割や機能に対する理解を甚だしく欠くものである。一般に判例は公正な市場の確立や市場におけるルール形成、あるいは利害調整などを目的とする契約への介入といった役割を果たしている。また解雇を中心とした個別的労働関係、あるいは不当労働行為など団体的労使関係についての判例、あるいは社会保障制度の改善などを求める人権訴訟による判例の蓄積は、憲法が保障している労働基本権や基本的人権の理念から実定法の適正な運用を求め、ときとして実定法の不備を正すという、民主主義的法治国家の根幹を支える営みである。判例の蓄積による法規範の定立自体を否定するかの如き見解は、反民主主義的であり到底容認できない。

 意見書は労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っていると主張する。これは憲法が保障する労働基本権や労働基準法、労働組合法など労働法の基本理念を真っ向から否定する暴論である。労働契約においては当事者の関係が本来非対称的であるからこそ解雇権濫用法理が合理性を有し、労使関係においても使用者側の優位性が明らかであるからこそ、憲法は勤労者に団結権その他の権利を認めているのである。従って意見書のように労働契約における交渉力の格差や、それを解消するための労使対等原則の必要に触れることなく、情報の非対称性にのみ問題があるかの如き見解は問題の本質を隠蔽するものである。

 なお意見書は解雇の金銭解決について試行的な導入を検討することも考えられるとしている。意見書は解雇の金銭解決では不十分であり、完全な解雇自由の立場こそ正しいとする見解に立つようであるが、法治国家においては意見書が述べるような恣意的な解雇が容認される余地は皆無である。また解雇の金銭解決制度は、実質的な解雇の自由に道を開くものであって、試行的な導入であっても容認できない。

3.労働者派遣法の見直しについて
 意見書は企業の派遣労働者活用に対するニーズは、もはや恒常化しているとの認識に立ち、労働者派遣法は、派遣が有効活用されるための法律に転換すべく、派遣期間の制限、派遣業種の限定を完全に撤廃するとともに、紹介予定派遣の派遣可能期間を延長し需給調整機能を強化し、併せて請負との区別も実情に適合したものにすべきであるとしている。

 もともと1985年の労働者派遣法の制定自体が職業安定法に違反する事案が多発する中で、法による規制を実情に適合させるという現状追認型の立法であったが、当初は常用代替とならないような専門的業務に限定されたものであった。その後数回の改正を経る中で臨時的・一時的業務に限るとの口実で対象業務が拡大され、派遣期間についても延長の措置がとられるなど規制緩和がなし崩し的に進められた。意見書の主張は、殆ど換骨奪胎されてきた労働者派遣に関わるきわめて不十分な現行規制すら完全に撤廃することを求めるもので、経営者団体などの主張と軌を一にするものである。意見書はこれらの規制緩和が真に派遣労働者を保護するものであると主張するが、企業のニーズに応える形で需給調整機能を強化することがなぜ労働者保護に繋がるのかについては何の説明もない。

 派遣労働者をはじめとする非正規労働者が増加し、雇用や労働条件に関する不公正な格差が拡大し、最低限の生活を強いられる状況が広がっている。このような事態を招いた責任は、派遣契約や請負契約の形で直接の雇用責任を回避しながら、低成長と競争激化がもたらす経済的リスクをこれら非正規労働者や請負(下請け)企業などの第三者に転嫁してきた経営者にある。また、そうした経営者のニーズに合わせて非正規雇用を拡大させるような雇用・労働政策を継続してきた政府の責任でもある。真の労働者保護とは、安定した雇用の下で、生き方やライフステージに見合った多様な働き方が、働く者の意思で自由に選択できることであり、劣悪な労働条件の下で際限なく働き続けることを強いるような労働者派遣法の見直しは労働者保護に相反するものであって容認できない。

4.労働政策の立案について
 意見書は現在の労働政策審議会について、意見分布の固定化という弊害を持っているので、今後は使用者側委員、労働者側委員といった利害団体の代表が調整を行なう現行の政策決定の在り方を改め、フェアな政策決定機関にその政策決定を委ねるべきであるとしている。

 わが国が2002年に批准した、ILOの国際労働基準の実施を促進するための三者の間の協議に関する条約(第144号)によれば、この条約を批准する加盟国は、結社の自由の権利を享受する代表的労使団体と効果的協議を行うものとされている。意見書の主張は、わが国が自ら批准した条約の内容に背くものである。およそ民主主義国においては最も重要な利害関係者である労使の代表に政府が加わった三者協議で、片方の利害に偏することのない結果を導くために、相互に協議を重ねていくのが政策決定の常道である。意見書はこの労使の利害調整の仕組みを全面的に否定し、フェアな政策決定機関の決定に委ねるべきとしているが、政労使三者構成の審議会以上にフェアな民主主義的政策決定機関は現実には存在しない。

 近年の福祉国家のモデルともなったILOの政労使三者構成の枠組みは、1919年のILO憲章に起源を有する。ILO憲章は第1次世界大戦の講和条約(ベルサイユ条約)第13編「労働」が憲章として採択されたもので、今日と同様国際的な労働者保護のための公正貿易の実現と併せて、20世紀初頭の物情騒然とする国際情勢の下で、世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができる、という崇高な理念を掲げている。三者構成の枠組みはその理念の実現に向けて、各国の政労使が叡智を結集して漸く合意にこぎつけた成果である。従って、意見書の主張するような、利害関係者を排除した政策決定機関なるものは、ILOの理念とは全く相容れない独善的発想の産物である。「フェア」の名のもとにこの制度を否定する如き見解に強く反対する。

以 上

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